突然の訃報
2/11 祝日。
仕事の連絡も来ないので集落の野良仕事をしていたら、近所に住む一人暮らしのばーさんから『ルイ(飼い猫)が死んだので来て欲しい』と電話がかかってきた。
突然の訃報に驚き野良仕事を切り上げて、その時の作業道具と合わせて向かう。
(ドライな話ではあるが、埋葬するために穴を掘らないといけないだろうと)
ばーさんの話を聞くと数日前から調子が悪かったらしく、気がつくと息を引き取っていたらしい。
動揺しているのか同じような話を延々と繰り返すが話すことで気を取り直せるのであればと、終始聞く側にまわり、たまに相槌を打つ。 少し落ち着いたのか敷地内に埋葬したいので、やはり穴を掘ることを頼まれた。
穴を掘っている間、9年前に初めて会った頃のルイのことを思い出したり、今後残されたばぁさんの事を気にしたりとやりきれない。
この日は埋葬せず、最後に同じ屋根の下で過ごされた。
寄り添う友達がいるというのは幸せだ
親身に彼女の世話をよくされているご近所さんも合流し、3人でルイを埋葬する。
少しして彼女の仲良しが花を持ってやってきてしばらく話をしていた。
ああいう風に年取っても寄り添い合える関係性はとてもいいなぁと羨ましく思った。
ひと段落すると世話になったとお金を渡されてしまう。
ちょっとした手伝いをすると、いつもこうである。
断っても頑なに渡そうとするので、最近は素直に受け取ることにしている。
勿論もらったお金は手をつけることなく、彼女に何かあった際のために手元にとってある。
写真を渡す
写真が一枚もないので欲しいと言われ、集落に通ってる頃から撮っていたルイの写真データを探しだして、Lightroomで現像してプリントした。
小さなアルバムと仏壇用にとフォトフレームも合わせて購入。
もらったお金をここで還元できるのであれば、僕としても気兼ねなく使える。
どうしてもお金が増えてしまう
その日の夕方、どうにか当日に写真一式を渡すことができた。
するとまたお金を渡されてしまった。
こちらとしてはもらったお金で賄っている(なんなら余るくらい)ので、要らないといってもやはり聞かない。せめて金額を少なめに申し出たが結局トントンの金額になってしまい、朝にもらった金額が丸々浮いてしまった…。(諦めてばーさん用のお金に積立てることに)
寄り添って話をするのが大事
喪失感と共に最後を看取れなかった(気づかなかった)自責の念をひきづっていたので、少しでも解消できればと1時間ほど話をしてルイの思い出を一緒に話す。
こういうときに手元に写真があるのはとてもよかった。
僕が持っていたデータが1〜9年くらい前だったので、ばーさんも色んなことを思い出しながら話ができたり、写真の中の元気な姿を見て色々な昔話を聞かせてくれたり。
ルイ、おやすみ。
個人的には16年も生きれば大往生だと思うけれど、今年90になるばーさんの為にももう少しだけ寄り添ってあげて欲しかったなぁと勝手なことを思ったり複雑な気持ち。 いや、ルイは十二分に長生きしてくれたよね。ゆっくりとおやすみなさい。