先日、ウクライナ情勢による肥料の高騰化のニュースを見かけた。
肥料最高値、農家を直撃 政府・与党、新たな補助金検討(時事通信) – Yahoo!ニュース
いよいよ、こういう問題が表にも出てきたなと思った。
以前、何かのドキュメンタリー映画で、化学肥料の元になる鉱石が数十年で枯渇すると知った。 僕が生きている間はまだ採掘〜精製できるのだろうけど、持続可能な農業というのを標榜に掲げるのであれば無肥料による技術を周知させた方がいいのではないだろうか。
有機肥料も足りなくなる
化学肥料がなくなる自体に陥いったら「有機肥料を買えばいいじゃない、なんなら健康に良さそうだし」なんて声も聞こえてきそうだ。
しかしながら需要過多になるので有機肥料も高騰化するわけで、慣行農法でJAに言われた通りに動いている農家は生産規模によるマネーゲームで肥料も買えなくなる。そして購入する肥料ありきの田畑では収量は落ち、生活に困窮することも想像できる。
肥料を作れば大丈夫なのか
有機農法をされている方は自前で肥料を作っていたりするが、肥料のためにそれなりのコスト(時間・費用)がかかってしまうのも悩ましい。それに加えて大きな問題が発生する可能性がある。
新しい問題が生まれる
昔、無肥料による自然栽培のセミナーに行った際に、「肥料が盗まれることがあrる」という話を聞いて衝撃を受けた。
聞けば、有機農法が盛んなある地域ではそれぞれの農家が肥料を作っている。 当然ながらそれぞれが独自に肥料作ることになるが、やはり優劣が出てくる。そうなった時に起きたのが、肥料が盗まれるということだった。 もちろん非難すべきことだが自分の収量や質を上げる手段として必死になった挙句の行為と考えるとあり得る話だった。
肥料がなくても良い状態が平和かもしれない
肥料だって数日で出来上がるものではない。肥料はどこかに堆積させておくがそこにセキュリティをかけるとなると、さらに負担が大きくなる。
無肥料でも農作物が育つ土をつくり、連作障害に耐えうる栄養素が偏らないよう多品目を作る農業を成立させておけば、肥料を作るコストからも解放される。無ければ盗まれることもない。
単一(あるいは少品目)の農家さんに対しては、現状の生活もあるので急に変わるのは難しいと思うけれど、子孫に継いでもらっても困らない職業として残したいのであれば、体力があるうちに少しの面積からでも実験的に試してもらえると、世界情勢のあおりにも耐えうる持続可能な農業として残り続けるのではないだろうか。
日本の食を支えていただいているにも関わらず、農家さんばかりに負担が強いられている構造もよろしくない。JAや行政もそこに対して方針として本質的な持続可能な農業のために、補助金だけではなく無肥料や無農薬といった取り組みにも力を入れて欲しい。
いい例としては、石川県の羽咋市は行政・JAが積極的に自然栽培を取り入れており、数年前にとあるモニターツアーで視察に行ったがとてもいい循環が生まれ始めていた。
自分でも取り組んでみる
去年から大家さんから畑を借りて、自然農の真似事をしている。
別の人が使ってたが大家さんに返され、一年ほど放置されていたが肥料とかは撒いてたっぽいので土をリセットして始めている。やはり栄養素が足りないので育ちが悪いが、刈り取った雑草を被せたり、色んな種類の野菜を育てて土の中の菌に多様性をもたらしている。
土も野菜もちゃんと育つまでには数年かかるだろうけど、うまくいけば周りに説明ができるようになるのでそこまで頑張りたい。