この日は上毛町→東京を経て愛知に帰省。
目的は母が使うプリンタの設定を直すためだ。
極めて億劫ではあるが、自分のミスでうまく設定できていなかったことと、こういうキッカケがなければ正月以外に帰省することはないので、案外いい口実だったりする。

今回の上毛町では建築士さんたちと移住予定の集落の空き家を見ながら説明していただき、補修費用は最悪の想定よりかは掛からずホッとしたものの、それでも結構かかりそう。
情けない話だが手元にキャッシュがあまりない僕は、母に貸してもらえるか相談をしてみた。
予想通り『なぜ今までちゃんと貯めてないのか』と軽い叱責を受けるも、案外あっさりと首を縦に振ってくれた。

心底、意外だった。

ここ2年くらいは地域に関わること、ましてや僕がそこに移住することに懐疑的で『なぜあなたがやる必要あるの?』の一点張りで、もちろん親心としてはもっともな意見であることも理解していたが、こちらの言い方をなかなか聞いてもらえず何度もケンカめいた事にもなったりした。
それだけに今回も揉めると思っていたので、正直驚いた。

今思うと、最初の頃はこちらも「理解してくれ」の一点張りだった気がするが、最近は言い合いの度合いも小さくなってきていた。
別のエントリーで詳しいいきさつは書く予定だが、いろいろ話し合うことで母がそれまでに比べて大分歩み寄ってきてくれた気がしている。
だからこそ、今回のお金の事も了承してくれたのかもしれない。

京都に戻り際、駅近くの割烹で晩御飯を食べながら色々話をした。
高橋家の親戚の現在の相関や、珍しく僕を生んでくれた前の話や聞けたりしてなんだか嬉しかった。

母は今年68になるが、今もフリーという形で働いている。
驚いたのが未だに僕の為に残すお金を増やそうとしていた。先ほどの貸してもらえるお金も実際にはそこから出してくれるようで、そもそも返して欲しいわけでもないらしい。
母は35歳の時に離婚をしており慰謝料をもらっていなかったことはうっすら知っていたが、別れてから程なく生活保護を受けていたらしい。
運良くか?半年ほどで前の会社に就職が決まって保護からは抜けたらしいが、特に手に職もなく33年前に30半ばの女性が正社員として職につくのはどれだけ大変だっただろうか。
また土日は新聞配達もやっていた事も思い出した。
午前中だけだとはいえ日中に働きに出、帰ってはご飯の支度や家事。そうなると、いつ休んでいたかなんて全くわからない。ゆっくりしているという状態を見た記憶などない。

今年38歳になる僕はまだ人の親になったことがないからここまで出来る原動力がどこにあるのかが分からないけど、自分の子供には最低でも同じ愛情とエネルギーを注ぎたいと思う。