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2016.04.12

多分、母には一生かなわない

NOTE雑記
INDEX
  1. 改修費を借りる相談をする
  2. 少しずつ理解をしてもらえている気がする
  3. お金はないはずなのに、お金を託そうとしてくれていた
  4. 昔の暮らしを聞いたら、なかなか大変だった
  5. 自分はどこまでできるだろうか
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NOTE雑記

2016年4月12日のメモを掘り起こして編集しました。
(投稿日もこの日に設定しています)

改修費を借りる相談をする

この日は上毛町→東京を経て愛知に帰省。
元々の目的は母が使うプリンタの設定を直すためだ。
極めて億劫ではあるが、自分のミスでうまく設定できていなかったことと、こういうことでもなければ正月以外に帰省することはないので、案外いい機会だったりする。

今回の上毛町滞在では建築士さんたちと移住予定の集落の空き家を見ながら説明していただき、補修費用は最悪の想定よりかはいかずホッとしたものの、それでも結構な金額がかかりそうだった。
それでも順当に仕事が回れば3〜4年でペイできてしまう程度なのだが情けない話、手元にキャッシュがあまりない僕は母に貸してもらえるか相談をしてみた。

怒られると思いきや

予想通り『なぜ今までちゃんと貯めてないのか』と小言を受けるも、案外あっさりと首を縦に振ってくれた。心底、意外だった。

ここ2年くらいの間、地域に関わることや僕がそこに移住することに理解を示してくれず、『なぜあなたがやる必要あるの?』の一点張り。
もちろん親心としてはもっともな意見であることも理解していたが、こちらの言い方をなかなか聞いてもらえず何度も言い合いになったりもした。
それだけに下手したら貸してくれないとも思っていたので、正直驚いた。

少しずつ理解をしてもらえている気がする

今思うと、最初の頃はこちらも「理解して欲しい」という一方通行だった気がする。
何度も話し合いをしていく中で、一方通行ではダメだと気づき、母の子に対する考えを加味した上で伝えるようにすると、言い合いの度合いも小さくなってきていた。
母もかなり歩み寄ってきてくれたのを実感する。
だからこそ、今回のお金の事も了承してくれたのかもしれない。

お金はないはずなのに、お金を託そうとしてくれていた

京都に戻る前に駅近くの割烹で早めの晩御飯を食べながら、またいろいろと話をした。

母は今年68歳になるが、今もフリーランスという形で働いている。
もちろん老後に充てるつもりではあるが、驚いたのが未だに僕の為に残すためでもあるという。。
今回貸してもらえるお金もそこから出してくれるようで、本人は返して欲しいというわけでもないらしい。
僕としてはもちろん返すつもりだが、手元にそのお金を確保しておき、母に何かあった時にそこから出すのがお互いにとってやりやすい手段になりそうだ。

昔の暮らしを聞いたら、なかなか大変だった

他にもこれまでに知らなかったことを聞かせてもらって嬉しかったが、母が僕を連れて離婚した直後の暮らしについて聞けた。

母は35歳の時に離婚をしており慰謝料をもらっていなかったことはうっすら知っていたが、別れてから程なく生活保護を受けていたということは初耳で、ものすごく驚いた。
縁や運もあってか半年ほどで前職の会社に就職が決まって保護からは抜けたらしいが、特に手に職もなく33年前の当時、30半ばの女性が正社員として職につくのはどれだけ大変だっただろうか。今なら分かるが相当苦労したはずだ。
さらには土日の朝は新聞配達もやっていた事も思い出したが、これは新しい生活が始めるにあたって知人から借りたお金を返すためだったらしい。

日中に働きに出て、帰ってはご飯の支度や家事。
よくよく考えれば、ゆっくりしているという姿を見た記憶などなく、いつ休んでいたのだろうか。。

そんな苦労を全く感じさせずに、世に送り出してくれた母には感謝しかない。

自分はどこまでできるだろうか

今年38歳になる僕はまだ人の親になったことがないからここまで出来る原動力がどこにあるのかが分からないけど、もし自分に子供が生まれたら最低でも同じ量の愛情とエネルギーを注ぎたいと思う。

まだまだ、僕は母の偉大さにはかなわない。
僕は恩を返していくのみ。